TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

オルテガ『大衆の反逆』と西部 すすむさんのこと

 西部さんは、オルテガの『大衆の反逆』の日本への紹介者だと知った。

 『大衆の反逆』の新訳が、2020年4月に岩波文庫から刊行された。このブログでも既に触れたと思うが、訳者は佐々木 孝さんという、福島第一原発に近い南相馬の被災地で暮らしていた人だ。佐々木さんは上智大学スペイン語を学んで、ながいこと東京の女子大で教えていたが数年前に、福島に戻り病気の妻の介護をしながら、10数年かけて翻訳を進めていた。翻訳は急逝した2018年に完成した。死後に友人たちが原稿を出版社に持ち込んで日の目をみた。翻訳の骨頂は、「大衆を批判するエリート」という従来のイメージとは違ったオルテガ像の提示を目指していたとのことだ。

 西部さんはオルテガの『大衆の反逆』をどのようにとらえていたのであろうか?『大衆への反逆(PHP文庫)』という西部さんの本を読んでみたい。
 西部さんが自死したのは、2018年1月のことだったと思う。真冬の厳寒の夜中に多摩川に入水した。多摩川は私の住居の川崎市麻生区から近いので衝撃を受けた。あとで、西部さんの弟子というか共感者の二人が自殺幇助で逮捕された。西部さんが書いたものは、雑誌(現代思想とかそういうものだろうか?)で読んだことがあるくらいの知識しかない。東大教養学部の教授を、教授選考にからむゴタゴタに抗議してか、責任をとってか辞職したのは1980年代だったろうか? ともあれ、西部さんについて、最近興味をもっていた。
 一昨日、『サンチョ・キホーテの旅』(新潮社、2009年3月25日発行)を稲城図書館で見つけて借りてきた。中身は二つの雑誌に連載したもの(エッセイだろうか)を纏めたものである。一つは「想い出のひとびと(『表現者』第一号~第23号;2005年7月~2009年 、隔月刊)、もう一つは「余はいかなる意味で道民でありしか」(『北の発言』創刊準備号~第35号;2003年1月~2009年2月)である。少しだけ読んでみると、自分史というか、自らの遍歴と出会った人々のことを書いている。西部さんは昭和14年(1939)3月15日生まれであるから、私より8歳年長である。件の本を初出誌に書いていたのは、60歳代から70歳頃にあたる。西部さんのような思想家という方でも、「想い出の記」を書いたのか、という感想を持った。西部さんが「60年安保」の元闘士であることは知っていた。少しだけ拾い読みをした。最後のほうに、<「ワイダ」を読み誤っていた若き日々>という項目に惹かれた。「ワイダ」はポーランドの映画監督で私も幾つかその映画を観たことがある。この中に、ワイダの映画「灰とダイアモンド」を巡って、西部さんと唐牛健太郎(「60年安保闘争」のときの全学連委員長)が近しい友人関係であったことが書いてあった。私が札幌で学生時代を過ごしたのは、60年安保から10年後の70年安保の時代(1966年~1970年)だった。その時にも唐牛さんは伝説の人であった。沖縄か何処かの島で暮らしているとの噂も聞いた。ここで、唐牛についてももっと知りたくなった。少し前に、佐野真一さんが『唐牛伝』とかいう本を出したのを思い出した。
 ということで、今回は西部さんの『サンチョ・キホーテの旅』に触発されて思うことをまとめた。まだ拾い読みなので、読了したら感想を書きたい。