TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「北海道人―松浦武四郎」を読んでいる

 佐江衆一の『北海道人―松浦武四郎』を読み継いでいる。松浦武四郎は伊勢で1818年3月12日に生まれ、1888年2月10に東京で亡くなっている。この時代に70歳まで生きたことになる。時代は江戸末期から明治20年に至る。蝦夷地の探検かというより蝦夷地、今の北海道から択捉、国後、利尻、礼文から樺太までに関心をもって探検している。江戸末期は鎖国の時代なので、アメリカからの黒船来航、ロシアのプチャーチンの長崎への来航といった、江戸が世界にまさに開かれようとする時代である。幕末において、水戸藩鹿児島藩とうの地方の藩主たちも江戸幕府とは別に海外に目を向けてその折衝に会ったっている。武四郎は蝦夷地を頻繁に訪れて、『蝦夷日誌』を詳細に書く。蝦夷の地図も描く。武四郎は絵心もある。かつ、江戸が世界に開かれていくなかで謂わば政治的な活動にも必然として巻き込まれている。この本を読んでいると、ロシアに行ってきた大黒屋孝太夫や、漂流してアメリカに救助され10年滞在して帰国して江戸期に活躍したジョン万次郎(中浜万次郎)のことも気になってくる。
 一方で、『ニコライ堂の女性たち(中村健之助介・中村悦j子)』を並行してい読んでいる。こちらも時代は、1836年(天保時代)~1955年(明治30年)にわたる。時代背景は重なる。ロシア正教の伝道者のニコライ・カサ―トキンは、1836年8月13日にモスクワで生まれ、1912年2月16日に東京で亡くなっている。ニコライは1861年に函館のロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。明治5年から東京に移り、神田に現存するニコライ堂を建立してロシア正教の日本伝道に生涯を尽くして、日ロ戦争中も日本にとどまり、日本で永眠している。漸く、二人目の山下りんまで読み進めている。イコン画家の山下りんについては以前から興味を抱いており、伝記本をもっていたが書棚に見当たらない。

 本日は、読書中の松浦武四郎山下りんに触れた。