TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (9)秋元波留夫さんと「国際てんかん会議・京都」~1981年9月17日

(9)秋元波留夫さんと「国際てんかん会議・京都」~1981年9月17日

 1981(昭和56)年3月23日付けの医学界新聞・第1440号に「わが国の神経系の臨床医学」という興味深い座談会が掲載されていた。先輩記者のSH君が取材して、記事を書いていた。

■座談会「わが国の神経系の臨床医学」■
●1981年9月17日:

  座談会「わが国の神経系の臨床医学」の出席者は、島薗安雄、秋元波留夫、椿 忠夫、江部 充の四名であった。何れもその頃の神経・精神医学分野の第一人者であった。1981年9月、京都市・宝ヶ池の国際会議場で、神経関係の国際会議が連続して開かれた。第12回世界神経学会(9月20~25日)、第10回国際脳波・臨床生理学会議(9月13~18日)、1981年国際てんかん会議(9月17~21日)。上記の座談会は、9月に開催予定の神経学領域の国際会議を見据えたものだった。この一連の神経学の国際会議には、先輩記者のSH君が取材して記事にした。
 「1981年国際てんかん会議・京都」の組織委員長を、秋元波留夫さん(都立松沢病院長)が勤めていた。秋元波留夫さんは、会長として「てんかん―東と西」というテーマで開会講演を行った。
 「てんかんは、洋の東西を問わず有史以来、人類が苦しんできた病の一つである。てんかんには、多くの根拠のない迷信や因習がつきまとってきたため、また治癒不能の病と信じられていたため、どこの国においても、てんかん患者は社会的に排除され迫害されつづけてきた。そして、残念ながら、てんかんに関する認識と医療の点で、東洋は西洋(ヨーロッパ、アメリカ)に、はるかに遅れをとってきた。日本におけるてんかんの歴史は、六世紀に中国より伝来し、『てんちぇん』から『てんかん』に転訛したことに始まる。一般的には、その発作の形容から『転倒病』と呼ばれていた。」


 ロシア文学を専攻して、ドストエフキーで卒論を書いた私は、ロシアの作家ドストエフスキーが、てんかん持ちだったことから、「てんかん分類」に改めて関心をもった。フランスてんかん学の大家のガストー(Gastaut)分類によれば、ドストエフスキーは、「側頭葉てんかん」を持っていた。この折の会議で、国際抗てんかん連盟(ILAE)による「新しいてんかん分類」が採択された。てんかん分類はその後も改定がなされ、2017年に新しい分類が発表されている。

■秋元波留夫著『精神医学逍遥』■
●1994年:
 『精神医学逍遥』という本を、秋元さんが医学書院から、1994年に出版した。著者九四歳のときだ。この本の「序」で秋元さんは、次のように述べている。
 「(本の)中身はその多くが講演であり、学術的なものから、評論、随筆まで多岐にわたっているが、自分では精神をやむということは何かの追求から一本の筋が通っていると思っている。」
 
『精神医学逍遥』には、〈20世紀の精神医学の歩んだ道―「悩みをもった心」と「故障した脳」〉、〈てんかんから学ぶ〉、〈内村祐之先生からの学問的遺産―イムの研究、分裂病の研究、てんかんの研究、内村先生の有形の遺産―神経研究所と日本精神衛生学会〉、〈ドン・キホーテの病跡学―ドン・キホーテ、石田昇、カハ―ㇽ〉、等々、興味深い多くの論考が収載されている。
■「秋元波留夫さんを偲ぶ会」に参加■
●2007年7月22日(日):
 
2007(平成19)年4月25日、享年101歳で、秋元波留夫さんは逝去された。葬儀は密葬で行われた。2007年7月22日。午後13時~15時30分までの間、東京・新宿の京王プラザホテル本館四階「花の間」で開かれた「秋元波留夫先生を偲ぶ会」に参列した。この会は、立食のパーティ形式であった。『秋元波留夫―明治→平成を駆け抜けたやさしい巨人 1906~2007』という冊子を受付で、いただいた。
■「秋元波留夫―明治→平成を駆け抜けたやさしい巨人1906~2007」
 冊子は、「秋元波留夫先生を偲ぶ会」における参会者への配布を目的に、短期間に原稿を集めて、創造出版社から刊行された。「創造出版」そのものが精神障害者の社会復帰の受け皿として作られた組織である。理事長の山田禎一さんは、秋元さんの金沢大学時代の教え子であり、後には同志・同伴者となった。この追悼文集には、120名を超える日本の主だった精神医学の関係者、そして秋元さんの姻戚関係の方々の心温まる心迫る文章が集められている。その質量の大きさにただ圧倒される。
 生前の秋元波留夫さんに、残念ながら私はお目にかかったことがない。それなのに臆面もなく、私の「医人」たちの肖像シリーズの一人にとりあげた。
(2020.10.29)
私の「医人」たちの肖像―〔9〕秋元波留夫さんと「国際てんかん会議・京都」~1981年9月17日)