TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(87)山下 格さんと座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」そして内村裕之さん・北海道大学精神医学教室 ~1990年7月7日(土)

(87)山下 格さんと座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」そして内村裕之さん・北海道大学精神医学教室 ~1990年7月7日(土

 

 1990年7月7日(土)。朝から出勤して、神経精神薬理学の座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩(柳田知司・三浦貞則・山下 格)の原稿整理を行なった。この座談会の企画は、柳田知司先生からの持込企画であった。柳田先生とは、実験動物中央研究所の野村達次先生を通じて知り合いになった。
 座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」は、医学界新聞・第1907号に掲載した。「第17回国際神経精神薬理学会議プログラム」も同号に掲載している。国際学会開催広報のための座談会企画であった。
座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」■
●1990年7月7日(土):
 
座談会の出席者の三浦貞則先生と山下 格先生は、この時が初対面だった。三浦さんのご所属は、北里大学医学部教授(精神医学)だった。山下 格さんは、北海道大学医学部教授(精神医学)だった。
 座談会収録の際に山下先生にお目にかかり繊細な風貌に驚いた。心の病に寄り添う方は、こんなにもナイーブな面立ちの方なのだろうかと思った。山下さんは、北大医学部・精神医学教室の第五代教授だ。十数年後の2000年代に雑誌「精神医学」の編集に携わり、山内俊雄(埼玉医大教授)、山崎晃資(東海大学教授)、三國雅彦(群馬大学教授)といった北大医学部・精神医学教室出身の複数の方々と知遇をえた。不覚にもその時まで、北大・精神医学教室が内村裕之先生が初代教授だと知らなかった。既に触れた秋元波留夫さんは、内村裕之教授時代(1929年)に北海道帝国大学・精神医学教室の助手になっている。
北大精神科・初代教授は内村裕之さん■
 内村裕之さんは、1897(明治30)年11月12日に内村鑑三の長男として東京府で生まれた。1923(大正12)年春に東京帝国大学医学部卒業して、精神科を志望して東大医局に入局した。約1か月後に呉秀三教授に申しでて東京府松沢病院の医員になった。1924(大正13)年2月に北海道帝国大学助手(精神医学)、同1925(大正14)年3月から同助教授、同年4月から文部省海外研究員としてドイツのミュンヘンに2年間留学する。カイゼル・ウイルヘルム研究所(マックスプランク研究所)でシュピールマイヤーに師事する。その間にクレペリンクレッチマーなどとも交流をもった。1927(昭和2)年に帰国し、同年9月に北海道に渡る。1928(昭和3)年北海道帝国大学教授に就任する。1930(昭和5)年3月に、父鑑三の危篤の際に上京して「父の臨終の記」という詳細な記録を残した。1936(昭和11)年に、東京帝国大学医学部教授に転じた。北海道帝国大学医学部・精神医学教授時代は8年に及ぶ。内村裕之さんは、東京帝大在学中に左腕の投手として大学野球で活躍した。精神医学者となってからも、わが国のプロ野球の発展に貢献したことは有名である。
内村裕之著「精神医学の基本問題」■
 内村裕之さんが書かれた『精神医学の基本問題―精神病と神経症の構造論の展望』という本を想い出した。この本は、昭和47(1972)年に医学書院から出版された。1972年というと私が医学書院に入社した翌年だ。内村さんは、1980(昭和55)年に82歳にて生涯を閉じた。逆算すると、内村さんが74歳の時に、上記の本を出したことになる。興味を惹かれたので件の本を紐解いてみると、「序」に次のように書いてある。
 「私がこの年になって、私にとって不本意な綜説展望という試みに敢えて手を染めるに至った動機は、上記の通り、公正な手引きともいうべき文献の少ない現状を遺憾に考えたためでもあるが、もっと直接の動機としては、さまざまの機会に出会う近時若い学徒たちが、ともすると特定の立場に対してのみ興味を抱いて、他の多くの立場を理解せず、また理解しようともせぬことを嘆かわしく感じたからである。・・・・・」
 「本書の本文は、昭和45年6月から同47年2月まで、18回にわたり、雑誌「精神医学」に連載したものに多少手を加えたものである。」とも書いてある。内村裕之さんは、そんなに昔の人ではないと気がついた。もしかしたら、内村さんは雑誌「精神医学」の編集委員をなさっていたのだろうか。このことも追って調べてみたい。そういえば、内村さんは、『わが歩みし精神医学の道』(みすず書房)を昭和43〔1968〕年に出版している。この本は一般啓蒙書としても興味がある。
 内村さんの経歴について、「日本近代医学人名事典(医学書院、2012年)等々を参照して記載した。北海道帝国大学教授時代の記載は少ない。今後もその資料を捜してみたい。いずれにせよ、北海道大学・精神医学教室の基礎は、内村さんにより築かれたものと思われる。
(2019.5.3)


私の「医人」たちの肖像―〔87〕山下 格さんと座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」と内村裕之・北海道大学精神医学教室~1990年7月7日