この私と略同世代の小説家の車谷長吉さんは、2年ほど前に亡くなった。それも、正月に餅を喉に詰まらせての窒息死であった。遅くに詩人のなんとか順子さんと結婚された。千駄木が好きであの辺りに住んでおられた。森鴎外がかつて住んでいた辺りから上野方面に下ったところが千駄木だ。野良猫、あるいは家猫が勝手にうろついているのか猫が多い下町風情だった。
「私は田舎の高等学校の生徒だった頃から、文士になりたいと考えていたが、併し実際になれるとは夢にも思えなかった。自分で自分のことを鈍物だとあきらめていた。・・・・作家なんて人間の屑、ごみ、あるいは頓痴気である。」
車谷さんが、「はしがき」に上のように書いている。また、こうも書く。
「この間、私を支えていたのは文学が好きだという気持と、意地と、瘦我慢であった。命懸けで生きてきた。言葉は人間の生魑魅である。人の生の怨霊である。」
車谷さんは、いちど広告代理店に就職したがが、辞めてしまって、あとは頭陀袋ひとつで食堂の下働きなどぉして関西方面で浮浪していたことがある。相当の変わった生き方をして書いてきたものすごい人である。
「私は、この本を、・・・・心に悲しみを感じている人、文学に救いを見出したい人、に読んで欲しい。」
そであるならば、短篇「文士の意地」の作品を読んでみたい。