TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『黄金の女達』(小島信夫)を読み継いでいる―「9.節夫人との結婚の秘密」まできた

『黄金の女達』(小島信夫)を読み継いでいる―「9.節夫人との結婚の秘密」まできた。小島信夫と言う人は、博覧強記のほんとうの知識人というか教養人であると知った。知識人というものはこのような文章を雑誌「潮」に連載しながら自ら楽しんでいたのだと思う。縦糸に、ラフカディオ・ハーンをおいているが、出てくる人は縦横無尽だ。時代背景は明治10年頃からだ。明治の日本が近代国家になっていく過程で多くの外国人が日本にきていたのだ。その人たちのことを小島さんが触れている。その人たちの生きた時代(生年と没年が)が参考になるので、記憶のためにここに記録しておく。
(1)ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)
 1820年4月27日生まれ〜1903年12月8日逝去。
 イギリスの哲学者、倫理学者。
(2)ヨハン・ルートヴィッヒ・ハインリッヒ・ユリウス・シュリーマン
 1822年1月6日生まれで、1890年12月26日に逝去。
 ドイツの考古学者。トロイアを発掘した。1865年に日本に来た。「八王子紀行」などを書いた。
(3)ヘンリー・アダムス(Henry Brooks  Adams
 アメリカの作家。
(4)ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)
1850年6月27日生まれで、1904年9月26日に逝去。
 ギリシャ生まれの新聞記者で、紀行文作家、小説家。
(5)チェンバレン・バジルホール(Basil Hall Chamberlain)
 1850年10月18日生まれで、1935年2月15日に逝去。
 イギリスの日本研究家。東京大学名誉教授。1873年に来日。はじめは海軍兵学校教師。1886年東大文学部教師。1891年にカーンを松江中学に紹介した。1911年に日本を去る。

 そのほか、パーシヴァル・ローウエル(Percival Lowell)、ビゲロー等々、日本に関係のある外国人が取り上げられている。明治の日本は、開国が進んでくるにしたがい興味深い国であったのだろう。

<・・・・ロウエルもチェンバレンも日本へ来た。キップリングもスティーヴンソンもゴーガンもロウエルもヘルンもロティも、みんあ、一種、探検家であったのである。それからあのトロイなどの発掘を行ったシュリーマンも同様である。>

 このような記述を読むと、人間とは、ホモグノーシス(知りたがりや)であることがよくわかる。このような時代を経て、日本は近代国家となるが、日清、日露を経て、世界大戦へと進んでいってしまった・・・。
 この本は、少しづつ読み進んでいきたい。肝心の、節との結婚については、初めは「お手伝いさん」やら「愛妾(おめかけさん)」のような取り扱いもあったのかどうかもわからない。ともあれ、ヘルンさんは、やがて作家となっていき、あの「みみなし」芳一」のような怪談も残したのだから、日本も日本人の奥さんも大事にしておいたんだろう。