小島信夫『黄金の女達・私の作家遍歴Ⅰ―18 困窮文学者救済協会」を読んだ。全く、すごい本だ。標題を読んでもなにも分らない。この章は、小島さんのロシア文学読み込んでの縦横無尽の読書ノートなんだ。面白い。こういう読書もあるんだと感じ入った。
ドストエフスキー、ツルゲーネフ、トルストイ、ゴンチャロフ等々が出てくる。ツルゲーネフの「猟人日記」はドストエフスキーの「死の家の記録」の下敷きになった。ドストエフスキーは、ゴンチャロフの「オブローモフ」を高く評価していた。
<ツルゲーネフが「ハムレットとドン・キホーテ」という講演をしたはのは困窮文学者救済協会というものが設立されて間もなくだった。ドストエフスキーは、この協会から借金をして外国に行き、ルーレットで負け続けた。トルストイとツルゲーネフは決闘寸前にまでいって。いかにもロシア的な危うさの中から、一人の文豪が日本を訪れてた。ゴンチャロフである。>
ゴンチャロフは、1852~1855年にかけて、シベリヤを経由してプチャーチンの秘書官として、日本にきた。このゴンチャロフが、ペテルブルグに暮らす無為徒食の独身貴族オブローモフの生涯を描いた『オブローモフ』を書いたのは1859年であった。ドストエフスキーは、ゴンチャロフを高く評価している。
小島さんがこう書いてまとめている。
<ゴンチャロフが、『オブローモフ』という作品の第一部の断片を発表したのはドストエフスキーがペトラシェフスキー事件でつかまった頃のことである。ツルゲーネフは『猟人日記』の第一編が成功し、パリであとをかいていた頃である。>