『暗夜行路』の、「序詞(主人公の追憶)」は、結構、興味深い。こういう書き出しだ。
<私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月ほどたって、不意に祖父が私の前に現われて来た、その時であった。私の六歳の時であった。>
こういう出だしである。主人公の時任謙作の実の父親の出現であった。私は、この小説の粗筋を既に知っているのだ。謙作は戸籍上の父親が、三年間の間ドイツに行っている間(留学)に、祖父と母親の不義(不倫)で生まれた子であった。父親がドイツに留学中に、事実を知らせると「許す」との返事がきた。その結果、謙作は二男として生まれ育ってきた。六歳の時に、産後の肥立ちが悪く、母親が死んでしまった。ということは、留学から帰った、戸籍上の父親は。謙作を実の子どもとして、六歳まで育てて来た。これは、もしかしたら地獄の家庭生活であったのではないか。謙作の「出生の秘密」を、他の多くの人は知っていたが、謙作本人は知らずに成人したのだった。
こういう件がある。
<二、三日するとその老人はまたやって来た。その時私は初めてそれを祖父として父から紹介された。
更に十日ほどすると、何故か私だけがその祖父の家に引き取られる事になった。そして私は根岸のお行の松に近い或る横丁の奥の小さい古家に引き取られて行った。其処には祖父の他にお栄という二十三、四の女がいた。>
謙作の元の父の家は本郷なので、根岸は4~5キロしか離れていない。
さて、この小説は、「序詞」に続いて、「第一」に入る。主人公の時任謙作は、既に成人しているが、大学卒業して間もないのか、三十歳くらいなのか今のところは、私にはわからない。なにやら小説を書いていて、何処かに勤めて働いているようにも見えない。友人たちが結構、頻繁にきたりして、飲み歩いたり、吉原に芸者遊びに行って、朝帰りを繰り返したりしている。祖父は既に亡くなっていて、お栄の他に女中さんもいて、結構、裕福そうに遊び暮らしているように見える。この項の、「一」から「八」までの話の展開をみると、どうも遊び暮らしているのみで、もう一つ面白みは湧いてこないのだ。この小説は「国民文学」とか、志賀直哉は「小説の神様」といわれており、結構、評価の高い作家だが、この筋書きに読者は、退屈はしなかったのだろうか。
(続く)