俳句も短歌も私の「うた」つまり「こころ」を吐き出すものではないかと思う。世相歌は世の中のできごとを、その人の心から悲しんで歌うものである。朝日歌壇はウクライナとロシアの戦争のことを詠う歌がたくさん詠まれて入選している。それを悪いというのではないが、何かピントこない。
ということで、今週は「私うた」を選んでみた。
<子育てが一周回って再開とむつき姿の母を愛そう(牛久市 久保田和佳子)>⇒高野公彦
<ばかやろうこんちくしょうの人でなし遺影の夫に呟いてみる(春日部市 横手智恵)>⇒永田和宏
<こわがりの私に打ち勝ち開けた穴ピアスつけよう九十歳までも(横浜市 井上優子)>⇒馬場あき子
<吾娘(あこ)は書く「売られたケンカは全部買う」道徳ノートの「短所」の欄に(北九州市 福吉
真知子)>⇒佐佐木幸綱
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今週の歌壇から、「私歌」を選んだ。世相歌では、こういう歌が入選していた。
<専制のミャンミャー国軍支援して武器供与する二大国あり(町田市 高梨守道)>⇒高野公彦選:
ミャンマーは、「ビルマの竪琴」のビルマのことだ。アウサンス―チーさんの国だ。ミャンマーはいま大変な状況にあることは新聞で知っている。だけどそれを歌に詠むのは何故か?わからん。「世相」歌が入選しやすいからではないか?
<落ちたるペン車椅子より拾い得ず妻の帰りを待つ冬の午後(和泉市 長尾幹也)>⇒永田和宏、佐佐木幸綱共選:
長尾さんは、難病を患いながら歌で強く生きている。もうこんな状態かと驚く。
次に、俳壇に移る。
<レギンスは憚りながら股引ぞ(岐阜市 三好政子)>⇒小林貴子選:
「レギンス」って前は、「タイツ」とも言っていた。