四冊の本は以下だ。
(1)『人間は、人を助けるようにできている(服部匡志)』(あさ出版)
服部さんは私よりも16歳くらい若い眼科の医師だ。四年間浪人して京都府立医大の医学部を出て医師になった。眼科教授の木下茂先生に招かれて、私淑して、絆されて眼科医になった。眼科医になっ間もなく。学会でベトナムの医師にあってベトナムの医療を手伝ってほしいと招かれたのが経緯で、長年に渡りベトナムで無償の医療援助をおこなっている。素晴らしいひとだ。全く凄い人だ。
翻って齢76歳となった私は何なんだろう。私がいきることは何か役に立つのだろうか?ところが5年前72歳でC型肝炎ウイルㇲが消えて以来、もしかしたら私は健康維持に向かっているんだと思う。ということは生きて何か役に立つことをしなさいとの神のお告げなのかもしれない。2018年8月から一年発起してこのブログを開始した。ひたすら読んで書くことで過ごしている。私が何かの役に立つとしたらまず自力で自立して生きていくことである。そして小さなことでいいから他のひとの身近のひとの役にたつことをすることだ。服部さんと違って医療には貢献できないが、なにか社会貢献ができるかもしれない。まずは合気道の世話役を頑張ろう。
(2)『念ずれば花ひらく(坂村真民)随筆集』(サンマーク出版)
随筆集というよりも詩集に近い。あるいは坂村さんの自伝物語といっていいのかもしれない。坂村さんは一遍を師として詩作に後半生を捧げたひとだ。とても幸せな真の人のように思える。
足の裏の美
尊いのは足の裏である
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人にしられず
一生きたない処(ところ)と接し
黙々として
その務めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
死の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
これはわたしの「尊いのは足の裏である」という詩の一節であるが、わたしが足の裏の礼賛者になったのは、参禅をしてしみじみと足の裏を見るようになってからである。あるときはひとり山上に坐して,足の裏を太陽に向けて日の光を当ててやったり、あるときは月下に坐して、月の光を当ててやることもあった。
(第三章 二度とない人生だから)
坂村真民さんは、こうも書いている。
<よくわたしに人が問われる。あなたにとって詩とはなんですかと。即座にわたしは答える。父母への恩返しです、とくに母から受けた大恩を少しでも減らして軽くするためです。・・・・・>
真民さんは幸せなかたである。このように母親に感謝して生きておられたのだ。
(3)「いろんな気持ちが本当の気持ち」(長嶋有)ちくま文庫
長嶋有さんは、多分、1995年年頃に、芥川賞を受賞された。北海道の人ではないか? 当時、私は神経科学の雑誌の編集に携わってた。芥川賞を受賞された長嶋有さんは埼玉医科大学脳神経外科の初代教授の長嶋親男先生の係累と聞いたような気がする。長嶋親男先生は、20189年3月6日に逝去された。
さて、長嶋有さんがどう言う作品で芥川賞を受賞したのかも忘れてしまった。このエッセー集を読むと軽いタッチの文体が好きなようだ。読んでみよう。
(4)『「あたらしい人」の方へ』(大江健三郎)、朝日新聞社。
この本を。第2章まで読んできた。とてもわかりやすく読んでいて楽しい。感想は後で書く。
続く