TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

合気道の稽古に参加して思うこと ~武士にも侍にもなれないな

 二カ月ぶりに遠藤師範の稽古に参加した。本日は諸手取りからの各種の技の稽古をした。とくに師範が強調されていたのは「間(ま)」のことだった。空間の「間」、時間の「間」という事を強調されていた。「間」をとるために足(脚)を使って動くこと。動くことで「間」をとる、「間」を広げる、「間」を狭める、自分の「間」にすることができる。これは空間の「間」であるが、技をかける時に時間差をつくることで時間の「間」をとることができる。本当に合気道は難しいとかんじた。「自分で感じてください」と何度もいわれた。自分の体勢がどうなっているかは自分で確認することんだのである。諸手で手首を掴まれて腕を上げて固められてしまったとき自分の腕のちからは一切抜いて「間」をとる、つまり動くと腕が自由になるのである。この感覚が難しい。実際に山本(H)さんとこの稽古をやったときに自分の腕の力が入ったままであるのを指摘された。腕の力をぬけば掴まれた手首と私自身の間にある腕は一本の紐のようになる。この感覚が私にはまったくできていないのに気が付いた。次に名児耶(T)さんとの稽古ではいつもの癖で態勢が前かがみ(前傾)になっているのを何度も何度も指摘された。このことを肝に銘じて体幹を下に落とす意識を稽古のすべての段階(とりでも受けでも)でしないと合気道の神髄は全く理解できていないことになる。
 まったく、本日の稽古はさんざんであった。これでは「武士にも侍にもなれないな」と感じた次第だった。がっくりして帰宅した。

 遠藤さんの本読み返してみたい。あたり、結び、そして「間」の合気道である。

 最後に、新聞から気になる本を書いておく。

 (1)『五木寛之 こころの散歩』(古くて新しい「昭和」に学ぶ生き抜くヒントと宣伝にある。) 五木さんは90歳だろう。