TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

ジェームス・ワトソンさDNA二重らせん発見 1953年)が死去した ~ワトソンさんは19歳年長だけだった

 <ジェームス・ワトソン氏死去 ノーベル賞 DNA二重らせん発見>

 標記の見出しの記事を目にした(朝日新聞朝刊、2025年11月9日)ので記憶と記録のために書いておきたい。「DNA二重らせんの発見」が今日の分子生物学、さらに分子遺伝学に基づく医学医療の発展の基礎となったことは間違いない。医学書院の週刊医学記新聞で「DNAの30年」という特集企画を掲載したのは1983年だった。先輩記者の樋口覚君(歌人、文芸評論家)の企画であった。興味深い記事なので新聞記事を引用しながら書いておきたい。

<DNAの二重らせん構造の発見者の一人の米学者、ジェームス・ワトソン氏が6日、米ニューヨーク州イースト・ノースポートのホスピスで死去した。97歳だった。(私よりたった19歳年長だけだった)死因は明らかになっていないがニューヨーク・タイムズは息子の話として、最近感染症の治療を受けていったした。
 1928年、シカゴ生まれ。英ケンブリッジ大学で故フランシス・クリックとともに研究し、DNAがらせん階段のような2本の鎖がより合わさった構造であること発見し1953年に論文で発表。20世紀の生物学の最大の成果と言われ、1962年にノーベル生理学・医学賞を受けた。1980年代からヒトの全遺伝子(ゲノム)を解読する国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」でも中心的な役割を担い、二重らせん構造の発見から50年後の2003年に解読が完了した。1989年から1992年まで米国ヒトゲノム研究センターの初代所長を務めた。一方、2007年、黒人が人種的に劣っているという趣旨の人種差別的な発言をして波紋を呼んだ。その後も同様の発言を繰り返し、批判を受けた。>
 (田中恭=ニューヨーク、瀬川茂子)
<コメント>興味深いのでほぼ全文引用しておいた。DNAの発見からヒトゲノムプロジェクトの進展についてはこのブログでも継続して書いてきた。