TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像ー(146)日野原重明さんと「巨星墜つ!聖路加国際病院で献花する!」~2017年8月1日(火)

(146)日野原重明さんと「巨星墜つ!聖路加国際病院で献花する!」~2017年8月1日(火)

  不滅だと思っていた日野原重明さんが亡くなった。

■巨星墜つ!■
●2017年7月18日(火):
 2017年7月18日(火)。午前6時33分。日野原さんが、呼吸不全で死去。1911(明治44)年10月4日生まれの105歳だった。
 日野原さんの御葬儀は、7月29日(土)、午後1時から東京の青山葬儀所で行われた。日野原さんの想い出とその遺徳を偲び、私は自宅で合掌した。
 医学書院で勤務した私の40数年の中で後半30年間には日野原さんとお目にかかることが多かった。
 「社長さんによろしくね!」
 お別れするときに日野原さんの口癖だった。
 社長以外は、「全てのひとがその他大勢」なのだ。一方、私にとって日野原さんは唯一の人なので接触の中で多くを学び感じてきた。そのことを想い起して書いた。
 「わたし死なないかもしれない!」と、作家の宇野千代さんが何処かで書いていたのを読んだことがある。「日野原先生は死なないのではないか!」そんな気配すら感じさせる思いがお目にかかる度にあった。
 「福井くん、再来年の1月末の何時いつは空いているかね? アメリカに行くのだが一緒にどうですか? って言うのだから、参ってしまう。もう再来年の計画を立てているんですからね・・・」
 編集会議でお目にかかった折、上のようなことを、福井次矢さん(聖路加国際病院院長)から聞いたことがある。 
■お別れに聖路加病院で献花■
●2017年8月1日(火):

 十数日後、8月1日(火)。私の東大病院への通院日で本郷に行った。その帰途、築地の聖路加国際病院内に献花台が設置されており献花できると知り、聖路加国際病院に行った。10時40分頃に地下鉄丸の内線の本郷三丁目を出て銀座から築地に向かった。病院には11時15分頃に着いた。
 病院内のチャペルの隣の部屋に祭壇が設置されており、写真の日野原さんが微笑んでいた。白い菊の花を手向けお別れのひと時を過ごした。
 私自身にとっても一時代が終わったように感じるひと時だった。
(2018.10.4)
私の「医人」たちの肖像―〔146〕日野原重明さん⑪と「巨星墜つ!聖路加病院で献花する!」~2017年8月1日)