TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (3) 日野原重明さん③と重い鞄を持つ人! ~1981年5月15日(金)

(3) 日野原重明さん③と重い鞄を持つ人! ~1981年5月15日(金)

毎年、春に行われる勤務先の人事異動で、1981年5月から「週刊医学界新聞」担当者の一人に、私は配属された。1971年入社から十年が経過していた。洋書販売業務(営業畑)から編集職への移籍なので、「出版編集技術」等の参考書をエディターズスクールで購入し、編集の基礎知識を密かに身に着けた。

■日野原さんとの出会い■
●1981年5月15日(金):
 医学界新聞の蔭(実質上)の編集長は、日野原重明先生(当時は聖路加国際病院臨床医学教育顧問)だった。今から37前であるから日野原さんは69歳頃である。日野原さんは、重い鞄を何時も持っていた。それと、日野原さんは余りにも悪筆であり、執筆いただいた原稿の解読に一苦労するということだった。医学界新聞への寄稿原稿を、移動車中で日野原さんは書かれるので、文字が揺れているというのが真相だった。日野原さんは既に70歳近かったが、聖路加の病院長ではなかった。あとで朝日新聞の連載「生き方上手」(2013年掲載)の中で、こんなエピソードを、日野原さんが自ら開陳されていた。
 「日本船舶振興会笹川良一氏から援助のあるライフ・プランニング・センターの理事長を辞任すれば、君を聖路加病院の院長に推挙しますよ、と当時の橋本寛敏院長に言われたがお断りした。」
 自らの信念に沿って筋を曲げない方なのだ。

■北米医療見聞記を寄稿された■

年に数回、日野原さんは米国へ医学・医療視察の旅に出かけた。その都度その折の北米医療体験記を医学界新聞に寄稿された。また、米国の医師が来日するたびに対談や座談会等を行い、医学界新聞紙上で紹介された。
 「アメリカにおけるプライマリ・ケア―家庭医学教育の発展(R.S. Lawrence、日野原重明、丸山雄二 )」(第1446号、1981年5月4日)、「新しい病院作りへの展望(M.T. Rabkin、日野原重明、松枝 啓)」(第1462号、1981年8月31日)、等々。
 英国の開業医John Fryの「Primary Care」をいち早く医学界新聞において連載で紹介した(第1438号、1981年3月9日~ 第1475号、1981年11月30日)。プライマリ・ケア(Primary Care)とは、文字通りに言えば、「初期診療」、個人や家族の身近にあり、何でも診てくれる総合的な医療のことで、最初の受診が如何に重要であるかを示す。日野原さんこそが、日本へのプライマリ・ケア概念の導入者であった。 
(2018.10.10)
(私の「医人」たちの肖像―〔3〕日野原重明さん③と重い鞄を持つ人!~1981年5月15日)