TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(28)川喜田愛郎さんと座談会「バイオエシックスとはなにか」 ~1984年3月28日(水)

(27)川喜田愛郎さんと座談会「バイオエシックスとはなにか」~1984年3月28日(水

 

   英国の作家でジャーナリストのジョージ・オーエルが、「全体主義ディストピア世界を描いた小説『1984年(Nineteen-Eighty Four)』を発表したのは1949年のことであった。1984年は私にとってもターニングポイントの年であった。1984年3月25日に、埼玉県狭山市から神奈川県川崎市多摩区に転居した。3月28日は新居から初出勤した。午前中は日本消化器病学会を取材。夕方18~22時頃までバイオエシックスの座談会収録に参加した。

■座談会「バイオエシックスとはなにか」■
1984年3月28日(水):

   バイオエシックスとは、英語 “bioethics” のローマ字表記だ。日本語では「生命倫理」と言われていた。当時は、「脳死」「臓器移植」「体外授精」「出世前診断」、等々、それまで考えられなかった医学・医療技術の目覚ましい進歩(進化というべきか)に伴い、生命倫理の検討が澎湃として高まっていた。

   座談会の出席者は、村上陽一郎(国際キリスト教大学・医史学)、川喜田愛郎(千葉大学・細菌学)、坂上正道(北里大学・小児科学)、我妻 堯(国立国際医療センター産婦人科学)、ホアン・マシア(上智大学・神学)、青木 清(上智大学生命科学)」という多彩な陣容であった。出席者名と所属(当時)を見れば各人がどのような立場から発言されていたかが予測できる。

   医学記者として新人の私にとって、稀有で新鮮な経験だった。これも先輩記者SH君の企画だ。この日は真夜中にタクシーで帰宅した。

座談会は「バイオエシックスとはなにか」というタイトルで、2回連続して医学界新聞・第1610-1611号)(1984年)で紹介した。

■川喜田さんと『近代医学の史的基盤』■

   座談会の出席者の全員が初対面であった。これ以降、学会取材や別の対談や座談会等の企画で後にもお世話になった。
 ここでは川喜田愛郎さんのことに触れたい。川喜田さんといえば細菌学者(千葉大教授)の他に、大著『近代医学の史的基盤(上下)』(岩波書店刊)の著者として有名であった。ロシア文学専攻の私が、縁あって医学畑の出版社で口糊することとなり、医学を少しでも知るために、『近代医学の史的基盤』を買い求めで遅ればせながら少しずつ紐解いてきた。
 「まえがき」の冒頭は次のようだ。
「上下二冊のこの嵩ばったそしていささか理屈っぽい書物は、病気(pathos)万人の悩み(pathema)―病気のその姿は病理学(pathology)という現代の術語に影を曳いている―に対面した人々が、歴史の中でそれをどう受けとり、考え、そして多くの労苦を経て何を成就し、また何を成しとげずに残しているか、順を逐うてたどったひとつながりの物語である。」
 分子遺伝学と遺伝子操作技術を基盤とした現在の先進医学・医療に辿りつくまでの近代医学の道のりは、川喜田さんの大著によって詳細に辿ることができる。川喜田さんには、この数年後に中国医学史研究の泰斗ジョゼフ・ニーダムさんが来日した際に、対談をお願いした。そのことにも追って触れたい。
(2018.11.26)


(私の「医人」たちの肖像―〔28〕川喜田愛郎さんと座談会「バイオエシックスとはなにか」~1984年3月28日)