TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像― (34)Karl H. Pribramさんと「ホログラフィック・パラダイム」~1984年11月14日(土)

(34) Karl H. Pribramさんと「ホログラフィック・パラダイム」~1984年11月24日(土)

1984年11月24日(土)。朝から三鷹国際基督教大学ICU)キャンパスに、神経言語研究会の取材に出かけた。ICUに足を踏み入れたのは初めてだった。この大学は北大露文の恩師であるKNさんの母校でもあるので関心があった。行って見ると、三鷹市の近郊にありながら、大木の林に囲まれた立派な大学キャンパスであり驚いた。
■神経言語研究会を取材■
19841124日(土):
 神経言語研究会へは、杉下守弘さん(当時は東京都神経研究所)から誘われたのだった。取材は、先輩記者のSH君と一緒だった。というより、SH君に私が同行したと言った方が当たっている。ICUのF.C.パン先生(中国人・言語学者)が、研究会をとり仕切っていた。大きな階段式講堂で、研究会は開かれた。カール・プリブラム(Karl H. Pribram)という脳研究者が、この研究会に参加していたので、彼の講演を聞くのが取材目的だった。スタンフォード大学医学部プリブラム教授は、当時、「脳のホログラフィー理論」を提唱しており、ニューサイエンス(new science)の旗手として知られ、彼の著書の翻訳書が日本語でも出版されていた。
■ホログラフィック・パラダイムとは?
 「ニューサイエンス」という潮流が、1970~1980年代にアメリカの自然科学分野で起っていた。これは、西欧近代科学の根幹である物質主義、要素還元主義の克服を目指すものであった。ケン・ウイルバー編集による本 “The Holographic Paradigm and other Paradoxes” の邦訳『空像としての世界』 (青土社刊) が、当時(1984年)、出されて読まれていた。私もこの本を購入して読んだ。今も手元にある。
■杉下さんとプリブラム博士に聞く■
 研究会の合間をとらえて、プリブラム博士にインタビューをした。翌年、医学界新聞・第1642号(1985年3月25日付)に、「ホログラフィック・パラダイムとは何か?―Karl. H. Pribram博士を囲んで」、というタイトルで取材記録を紹介した。誌面構成上では編集部がインタビューした形だが、実際のインタビューは脳科学者の杉下さんと言語学者のパンさんに主導してもらった。今回、プリブラムへのインタビュー記事掲載のバックナンバーを捜して読んだ。これを見ると、件のプリブラムは、脳とホログラムのアナロジーについて広範に語っており興味深い。神経言語研究会は17時頃に終了した。そのあとキャンパス内のパン先生の自宅に席を移して懇親会が開催された。招かれて、夜の20時過ぎまで滞在した。古き良き時代だった。
プリブラムさんの履歴■
 プリブラムさんは、1919年2月25日のウイーン生まれ。1941年シカゴ大学医学部卒。イリノイで医学研修の後、フロリダで脳外科医となる。エール大学助教授(神経生理学・心理学)等を経て1959年にスタンフォード大学医学部教授に就任。1969年にホログラムは脳過程の有力なモデルであると提案。ホログラフィー(三次元的映像を現出させる写真技術)の原理に着想を得て人間の脳に関して「脳ホログラフィー理論」を提起した。存命していれば2019年(現在)には101歳を迎える。
 1960年代にスタンフォード大学で、『科学革命の構造』(みすず書房)の著者であるトーマス・クーン(Thomas S. Kuhn)と、プリブラムさんは研究室を並べていたと聞いた。
(2019.2.16)
(私の「医人」たちの肖像―(34)Karl H. Pribramさんと「ホログラフィック・パラダイム」~1984年11月24日