TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

内村鑑三と詩碑「上州人」

 「上州無智また無才 剛毅朴訥欺かれ易し 唯だ正直を以て万人に接し 至誠神に依りて勝利を期す」

 内村鑑三の「上州人」という詩である。高崎市にある頼政神社の境内にこの詩碑があるとのことだ。私の記憶では国道18号に近い所にあったような気がする。今度機会を作って行ってみたい。今から53年くらいまに私が北海道大学に入学が決まったときに中学時代の恩師の武藤良弘先生がこの詩を墨書して下さった。いまもす手元にある。武藤先生は書道では武藤光石と号していた。先日6年振りに15歳の春から数えて4回目の小中学校の同窓会に参加した。会場となった牛臥山麓ドリームランドから鏑川沿いの上州電鉄馬庭駅まで10キロあまりを歩いてきた。その途中に母校の入野中学校にも立ち寄った。そんな経緯から内村鑑三の「上州人」を想い起した。

 群馬には「上毛かるた」というかるたがある。子供時代には「上毛かるた」でかるた取りをして遊んだ。「つ」は「鶴まう形のぐんまけん」、「こ」は「心の灯台内村鑑三」である。内村鑑三は群馬の人と聞かされてきた。内村鑑三は高崎藩士の息子として1861年(万延二年)に年に藩の江戸屋敷で生まれ高崎に移ったとのことだ。長じて札幌農学校に学びキリスト教の信仰に目覚めた。私が札幌時代に「独立派キリスト教教会」に行ったことがある。これが内村鑑三の所縁の教会だったらしい。
ところで、上毛かるたの「へ」は「平和の使い新島襄」である。実は新島も東京・神田の生まれだが、父親が安中藩士なので群馬所縁のひとで上毛かるたに入っているようだ。群馬県の安中には新島学園という高校が今もある。新島襄は幕末の1864(元始元年),国禁を犯して脱国してアメリカ、ヨーロッパで学びキリスト者となって帰国した。そして1875年に同志社大学のの前身である同志社英学校を創立した。
 ともあれ、内村鑑三新島襄という明治初期の偉大な教育者そしてキリスト者でもある二人が寒風の吹きすさぶ上州に所縁のあるのは偶然とは言え興味深い。