TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『富士日記』(武田百合子著)のことが新聞にでていた 

 最近の若い人は新聞をとらない人が多いらしい。たしかに新聞がなくともネットやテレビで日々の出来事はわかる。しかし、新聞の端にある情報が入ってこないのではないか?「新聞」は読んで字のごとく「新たに聞く」なんだろうが、実は「旧聞」のほうが面白いことが多い。
 本日(2020年11月18日)の朝日新聞に『富士日記』(武田百合子著)のことがでていた。『富士日記』は私も読んだことがあり、今も私の書棚にある。武田泰淳さんには「富士」という大作がある。この本もある。此方は多分、私が買ったものではなくて友人の本だと思う。『富士」を私が読んで面白いからと奨めた。友人MIが買って読んだのを借りてまた読んで返却しなかった。今からでも帰すべきだろうか?この本のことをMIは覚えてるだろうか?他にも借りて返さなかった本がある。貸して帰ってこなかった本もある。
 武田泰淳は、「ひかりごけ」などを書く前だろうか、若い頃(30代か?)に北海道大学文学部中国文学科の先生(助教授かな?)をやっていて、札幌に住んでいた。それから作家になってか専心すべく東京に戻ってきた。奥さんになった百合子さんは、1946年に神田の出版社に勤めていて、同じ会社の社長が地下でバー(喫茶店)をやっていて、その店(ランボオ)でも働いていた。そこで、武田泰淳と知り合う。
 「泰淳が百合子に出会ったのは終戦直後、作家が集う東京・神田の喫茶店兼酒場だった。いつも腹をすかせた一回り下の人気者の女給に心ひかれ、チョコレートパフェを食べさせ、彼女をモデルに小説を書いた。二人は、百合子の4度の堕胎を経て結婚した。」

 こういうふうに二人の出会いのことが書いてあった。泰淳さんはもともと坊主の筈なんだが、若い女を4回も孕ませるなんって「生臭坊主」であることはたしかだ。私は20歳台の頃は泰淳さんの本をたくさん買って読んだ。今も筑摩の全集を始めとして泰淳さんの本を何冊も所持している。いまどき武田泰淳を読む若い人は余りいないと思う。でもこうやって新聞の「時代の栞」に載るのだからすてたものではない。この記事は、高橋美佐子さんという記者がまとめている。
 『富士日記』を手掛けた「中央公論社」の社員が後の作家の村松友視(80歳)だという。時代は巡っているのである。年譜によると、泰淳さんは1976年に64歳で死んでいる。『富士日記』はその葬儀のときに、追悼特集での掲載がきまっという。百合子さんは1993年に67歳で肝硬変で亡くなっている。みんな早めに死んでいるのだ。

(更新予定)