(142)生田房弘さんと雑誌「ミクロスコピア連載」の紀行文「カハ―ㇽ先生のふるさとを訪ねて」のこと ~2010年4月13日
生田房弘さん(新潟脳外科病院ブレーンリサーチセンター)の訃報情報を不覚にも見逃していた。コロナ禍でもあり、ご家族でひそかにお見送りしたのかもしれない。生田房弘さんが昨年(2021年)5月26日に93歳で永眠されていたことを奥様からの喪中のご挨拶で知った。
本日、古い資料を整理していたら、標題に示した「「カハ―ㇽ先生のふるさとを訪ねて」の別刷がでてきた。懐かしく再読しながら、ここに紹介しておきたい。
- 2010年4月23日(金)午後15時~17時30分:
生田房弘先生が、文京区・本郷1丁目の会社に来られて面談した。私の他に、編集室の同僚も含め四名で応対した。目的は、「ミクロスコピア」誌上に、生田先生が連載した「カハール先生のふるさとを訪ねて」(1996年連載3回)及び「カハール先生の跡を訪ねて」(2009年、3回連載)を、まとめて本に出来ないかという、本作りの企画相談であった。この日の面談に先立ち、「ミクロスコピア」雑誌に掲載された連載コピー及び「別刷」が、2010年4月2日付けで、生田さんから送られてきていた。生田さんがカハールの故郷と所縁の研究所を訪ねた折に撮った写真と手書きの街の地図が挿入されている興味深い紀行文であった。連載の最後は次のように結ばれている。
「恵まれない研究条件、世界に通用しないスペイン語等々の逆境の中で、常に創造力を働かせ、超人的努力を生ある限り続けたカハールに、限りない経緯を込めて、脱帽したい。」
これらは貴重な文献ではあるが、単行本に纏めても販売数は見込めないためにお断りした。この折に、「医学書院出版サービス」(別会社)での自費出版の見積書を作成してお渡しした。見積価格はA5判・106頁(本文4色刷)・300部で150万弱であった。以上の経緯で上記の「別刷」を一冊の本にすることは適わなかった。
■「ミクロスコピア」とは■
「雑誌「ミクロスコピア」は、新潟大学解剖学教授の藤田恒夫先生が主導して、新潟市の考古堂書店が発行していた。雑誌の編集同人には多田富雄(東大名誉教授・免疫学)、廣川信隆(東大名誉教授・細胞生物学)ほかも名を連ねていた。このユニークな雑誌も、第26巻4号(2009年、冬号)で幕を閉じた。この雑誌の刊行の功で、藤田さんは「科学ジャーナリスト賞」を2007年に受賞されている。藤田恒夫さんは2012年2月6日に逝去された。
カハールについては、私の知るかぎりでは、下記の二冊の本が啓蒙書として出版されており、読むことができる。
①『脳の探求者ラモニ・カハ―ㇽ スペインの輝ける星』(萬年甫著、中公新書、1991年)、
②『脳科学者ラモン・イ・カハル自伝―悪童から探求者へ』(小鹿原健ニ訳、萬年甫解説、里文出版、2009年)。
①は私の書棚にある。②は図書館で探して読んでみた。幼少期のカハールの悪童振りが実に面白い。
生田房弘さんの訃報に接して心よりご冥福をお祈りする。生田さんもまた、「常に創造力を働かせ、生ある限り超人的努力を続けられた」のだと思う。
(2022.1.19)
(私の「医人」たちの肖像―〔142〕生田房弘先生と雑誌「ミクロスコピア連載」の紀行文「カハール先生のふるさとを訪ねて」のこと ~2010年4月13日