TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『アメリカリ臨床医物語ージャングル病院での18年』(中田力著)を読み終えて思うこと

 中田力さんは2018年7月1日にサンフランシスコでお亡くなりになった。もうすぐまる5年になろうとしている。

 『アメリカ臨床医物語ージャングル病院での18年』を先日(5月15日)から読み始めて独読了した。このブログで、2001年12月17日に中田力さんにお目にかかったがそれが最初で最後であることに、触れた。
 先日から中田さんが書かれた本を数冊よんできた。この『アメリカ臨床医物語ージャングル病院での18年』が中田さんが一番書きたかったメッセージではないかと、思う。「母なる自然」というのが中田さんのキーワードである。複雑系と自由というのがもう一つのキーワードだろう。中田さんが日本に帰ってきて(1978~1996年まで18年間、カリフォルニアに滞在)、2001年から日本語の本を連続して出している。まるで日本の医学(というより医療)への提言と言うか警鐘の本である。

■中田さんの著書■

(1)『脳の方程式 いち・たす・いち』(2001年、紀伊国屋書店

2001年12月17日 中田さんへのインタビュー(対談)に参加した。
(2)『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(2002年、紀伊国屋書店
(3)『アメリカ臨床医物語 ジャングル病院での18年間』(2003年、紀伊国屋書店
(4)「日本医事新報」の連載で『フィロソフィア・メディカー複雑系化学入門』

(4)「2008年ノーベル賞を読み解く(寄稿)」(医学界新聞第2826号、2009年4月)

(5)『穆如清風ー複雑系と医療の原点』(日本医事新報社、2010年)
 (4)連載を単行本にまとめて出版した。
(6)『天才は冬に生まれる』

(7)『脳の中の水分子ー意識が創られるとき』

(8)『脳脊髄MRAー基礎と臨床ー流れの画像化』(共著)

(9)『日本古代史を科学する』

(10)科学者が読み解く日本建国史

■中田さんの略歴■
1968年 学習院高等科卒業。

1970年 東大理三類入学。
1976年 東大医学部医学科卒業。
1976年 臨床研修東京大学)。
1978年 渡米。
    臨床研修(カリフォルニア大学デービス校、スタンフォード大学)。
1982年~1988年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 助教
1988年~1992年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 准教授。
1992年(〜2010年) カリフォルニア大学デービス校、脳神経学 教授。

1996年 帰国。
1996年(〜2015年) 新潟大学脳研究所脳機能解析学 教授。
2002年 新潟大学脳研究所統合脳機能研究センター長(併任)。
2011年 カリフォルニア大学脳神経学 終身教授。
2015年 新潟大学脳研究所 特任教授。
2018年7月1日 午前8時30分 三フランシスコで死去。享年68歳。

<コメント>
 中田さんの早世が余りにも惜しまれる。それにしても、2001年12月17日の折にはウエスティンホテルでの出会いが上手行かず1時間くらい遅れてのスタートとなったように記憶する。もしかしたら編集部(TK氏が雑誌「脳と神経」の担当であったがアポインの確認が不足していたかもしれない。時間が少なくて十分にお話を聞けなかったような記憶がある。残念であった。「中田さんは、fMRIの専門医である」との認識しかもっていなかった。中田さんは、実行は臨床医であったのだ。そのことをキチンと踏まえていなくてはならなかった。
 『アメリカリ臨床医物語ージャングル病院での18年』は中田さんは自分史を踏まえながら米日の医療の違いを物語っている。基調はカリフォルニアという西海岸への賛歌でもある。中田さんは1976年から2年間は東大で初期臨床研修を受けている。そのあと裸一貫で1978年に渡米する。カリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学して、目論見ではそのあと東海岸のMGHあたりに行こうとしていたようだ。それがこの本によれば、「創造の美学」(74頁)にこう書いてある。

 <無冠の天才(中田さんが一緒に仕事をしたユダヤ系の医師である)から突然サンフランシスコの家に電話が入ったのは、8月の半ばのことだった。どこから私のことを知ったのかわからないが、とにかく会いに来いという。その年の5月にアメリカに渡った私は、その頃カリフォルニア大学のサンフランシスコ校(UCSF)に在籍していた。東大時代に始めた画像診断学の勉強を完成させるため、その当時の第一人者と言われていた臨床医に師事していたのである。そして、その次の年からボストンでの臨床研修が決まっていた。>

 それが、無冠の帝王という(後のボス)が、俺のプロジェクトに参加すれば「お前のためだけに特別にサンフランシスコ近辺で最高と考えられる臨床研修プログラムを、大学の壁を外して受けさせてやる。だから、ボストンへは行かずに、残りの研修も自分のところで済ませ、臨床チームを作る手伝いをしろというのである。」

 まるで、むちゃくちゃなアメリカン・ドリームの日々がここから始まったのである。

 面白い本にであった。中田さんにもっとお目にかかりたかった。