西村賢太さんが、2月5日に亡くなった。54歳だった。4日の夜に、タクシーの中で倒れて病院に搬送され、そのまま息を引き取ったということだ。訃報に驚いた。先日、2月7日(水)、朝日新聞朝刊に、作家の町田康さんが西村賢太さんを悼むという追悼文を「我が身を捨てた先の私小説」というタイトルで寄稿していた。「寄稿」というのは、自ら勝手に書いて投稿したんだろうか?ということは、町田さんは、西村さんの小説が好きだったのだろう。この新聞記事に、西村賢太さんの上半身写真(2013年撮影)が載っていた。かなり肥満した感じで、豪快に微笑んでいた。ただ、この写真をみると、「肥満」「酒」「煙草」の三つの身体に悪いが重なって見える。
西村賢太さんの『苦役列車』は、芥川賞授賞時に雑誌掲載分を読んでことがある。その後、作家がテレビなんかに出たりしたので、読まなかった。遅ればせながら、『けがれなき酒のへど(2004年)と、『どうせ死ぬ身の一踊り』(2006年、講談社文庫)あたりから読んでみたい。
その前に、町田康さんの「追悼文」から気になる部分を引用して記憶に留める。
<西村賢太という作家が此の世にいて書いていることは私の心の支えだった。>
あの天才肌で音楽までやって詩人でもある、格好いいと思える町田さんが、こんなことを書くのか。
<(西村賢太の書く)その世界は、人間の卑小な部分、醜悪な部分、身勝手な部分などこれでもかこれでもかというくらいに突き詰めて描いた凄絶な世界で、多くの人が好む美しかったり痛快だったりする物語はまったくない。>
それができたのは、次のようなことだった。
<それを支えたものにはいろんなものがあるだろうけれでも、そのなかのひとつとして西村賢太氏が強くもっていたし小説家としての意識、もっと言うと矜持のようなものがあると思う。>
さらに、西村氏は、類をみない文章感覚をもっていた。
<調子のよさと引っかかり、緩急自在の文章は第一作の時点で既に確立され、磨かれていった。この文章の魔術によってほの暗く湿った人間の姿が明るく照らし出され、ときに晴れ晴れしたものに映った。これは文章が起こす奇跡であった。>
凄い追悼文だと思う。西村さんの本を読んでみたい。