TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「暇と退屈の倫理学」(國分巧一郎)を曲がりなりにも読んで思うこと

 「暇と退屈の倫理学」(國分巧一郎)を読み終えた。読後の結論は、生きることの目的は、「品性を磨くことにあり」という内村鑑三のことばに収斂される。若くして亡くなった哲学者の池田晶子さんも同じことを言っていた。ひとはただ生きるのではなくて「よくいきることをめざす」と言っていた。行く着くところは同じ事のように思える。

 「暇と退屈の倫理学」(國分巧一郎)の結論のところから引いておく。
<「人はパンのみにて生きるにあらずと言う。いや、パンンも味わおうではないか。そして同時に、パンだけなくて、バラも求めよう。人の生活はバラで飾られなければならない。>

<「人間であること」を楽しむことで、「動物になること」を待ち構えることができるようになる。これが、本書『暇と退屈の倫理学』の結論だ。>

 もしかしたら、今回、私は価値ある本に出会えたのだと思う。人は生きることを楽しんでいいのだ。生きることは本来が楽しいはずであるのだ。今、ウクライナで戦争が行われいる。受験戦争という言葉もある。「人生は死に至る戦いであることを忘れてはいけない。闘いに敗れたら自殺せよ」と芥川龍之介が言ったとか、読んだことがある。このような見解と全く違うことを「暇と退屈の倫理学」は言っている。

「パンだけなくて、バラも求めよう。人の生活はバラで飾られなければならない。」

 この言葉は、私に大きな示唆を与えてくれた。生きる上での一つの指標と思う。本日も午後14時20分~16時20分ころまで散歩した、若葉台駅のところで、子供が二人走っていった。ケンケンパ、ケンケンパ、急ぐ必要ないのに子どもは何故か意味もなく走るのである。意味もなく微笑んだり笑ったりする。生きることを楽しんでいる。生きることは実は本来が楽しんことなのだ。

「人はパンのみで生きるにあらず。」

 子どもには、親が保護者が、パンを十分に与えらなくてはならない。子育てとはそういうものだ。
 ウクライナの戦争のみならず、「平和維持のための戦争」などというものが成立するはずがない。
 私はいま生まれて初めて「暇と退屈」の時間を与えて貰ったと気がついた。

「消費ではなく浪費せよ」

 やってやろうではないか、生きることは楽しむことであると、初めて知った。かの徳川家康さんも「人生は重い荷物をもって歩む如し」と言ったとか。その言葉を金科玉条と信じてきたが。

「生きることを楽しんでいいのだとしたら、楽しんでみよう。」