TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「独り言も同じこと」(妄想と・・・?)

 「こんなとき私はどうしてきたか」(中井久夫著)を読んでいる。
 「1 こんなとき私はどう言うか」を読み終えた。この章には、(1) 患者さんとであったとき、(2)幻聴を四期に分けて考える、(3)幻聴や妄想を実りあるものにするために、(4)「匙を投げない」ことをどう伝えるか、という4項目からなっている。
 精神科の医師って患者さんと最初にあったときに何ていうのかな?
 私はいま2~3カ月にいちど「糖尿病代謝内科」を受診している。診察室に入っていくと主治医は「(体調は)いかがですか?」と尋ねる。「変わりありません、横ばいです・・・」のように大抵は私が応える。主治医は血液検査の結果のプリント(既に用意してある)を見せて「そうですね。HbA1Cが前回より下がっています」あるいは先日(2月28日)のように「年末年始があったので心配していましたが、7.2⇒7.6に上がっています」というように応答する。そして「この調子なら薬は今まで通りで良いでしょう」「薬を増やしてみましょう」というように処方してくれて次回の予約を決めて終わる。このかん3分くらいである。

 さて、精神科の医師はどうしているんだろう。やっぱり「脈をとったりするんだ」と知った。こう書いてあった。

 <「ほんとうは大丈夫なんだよ」―繰り返し保証する
 
話を戻します。私は何かを言う前に、まず脈をとったり、診察します。脈をとったり聴診器を当てていると、かなり錯乱している患者さんも落ちつくものです。脈や聴診器を当てるということは「待ち」の時間、結論までの待機の時間を共有することですから。
 そして、ほんとうおは何だかわからないけれど、小声で、「きみ、ほんとうは大丈夫なんだよ」とすぶやきます。・・・・・・・・・>
 なんか、精神科の診療もこころもとないものなんだね。内科の診療は、最近は、ほとんど「検査結果の申し送り」のようなものだと思う。今は、検査が全てだから。
 ■幻聴を四期に分けて考える■
 「幻聴」「妄想」が、精神科においては大きな問題のようだ。「幻聴」が聞こえてきたら怖いだろうな、と思う。「亡霊のざわめき」「頭の中が騒がしい」「(頭の中が)無期限延長、無現園長」と表現した患者もいるという。ところが、「幻聴が消えるとさびしい」ということも」あるんだという。
 ■幻聴や妄想を実りあるものにするために
 <たぶん妄想とか幻聴といおうものは、いっぺんに一つのことしか頭のなかに浮かばないようにするためにつくられているのだと私は思います。言葉というものはそういうものですからね。せめてもの「守り」でしょう。>
 ということは、「幻聴」も「妄想」も一つの効用なんだろうか?
 「独り言も同じこと」という記述があった。
 <(アフリカ単身赴任をしていたひとが)「とにかく独り言を言わないと狂うよ」と言うのです。まわりに日本人はいないし、ほとんどが現地の人で英語も通じない。そいうところで一日働いていると独り言わないとダメなんです。>

 といういことで、この本は結構ためになることが書いてある。大体、この本は定年後の爺さんが読む本ではないだろう。この読後感想は私の精神の平衡を保つための「独り言」のようなものであるとわかった。
 (今日は、ここまで)