TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

映画「土を食らう」を観て思うこと人―人は土から滋養をもらって生きる

 一昨日、近隣の湿地帯で芹をと摘んできた。洗って茹でて食した。独特のあの臭い風味がした。文字通り「土を喰らう」感じがした。私は「食痴」である。「食痴」という熟語はないだろう。それで括弧をつけた。要するに、「味盲」なのである。「味盲」という二文字熟語もないかもしれない。

 私はたぶん一歳半くらいであったろうか?いわゆる離乳期に入っていた。四人兄弟の末子で2歳まで母親のおオッパイを飲んでいたとバカにされたような気がするから既に2歳近かったのかもしれない。離乳食を食べた。白菜のしろい柔らかいほうの葉っぱにご飯を巻いて手巻きずしのようにしたのを食べた。塩味がきいていておいしく食べた。これが食べ物なのだと思った。甘い卵焼きもたべたことがなかった。ジャガイモの煮転がしも食べなかった。ただ白菜漬けお米である。生卵をかけた卵ご飯はたべたことがある。動物性のタンパク質といえば、鰊の乾物と鰯の丸干を食べた。動物の肉というものは一年に1度くらい、ニワトリを潰したときにたべたことがあったのかもお知れない。小学生ろに鯨の肉を食べたかもしれない。豚肉、牛肉は恐らく成人するまで食べたことはなかった。おそらく私の身体はベジタリアン仕様でできてきたんだと思う。

 映画、「土を食らう」は私にはよく理解できるものだった。群馬県と長野県の間の村に住んでいた水上勉の小説の映画化だった。
 「土に生き 土を耕し 我を産み 返りて母は翠とならん」
 母が死んだときに作った歌だ。