TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 私の「医人」たちの肖像-〔162〕 河村満さんと「医学界新聞」特集グラフ「科学・人間・医学」~1993年1月4日

 『傑出人脳の研究』(岩波書店)という本がある。著者は、長與又郎(東京帝国大学教授・帝国学士院会員・医学博士)、内村祐之東京帝国大学教授・医学博士)、西丸四方(医学士)である。検索してみた。国立国会図書館の他、複数の大学医学図書館にはあるが、古本屋市場には出ていないようだ。実はこの本について教えてくれたのは、この本を所持していた河村満さん(当時、千葉大学医学部神経内科)だった。医学界新聞の1993年第一号(第2025号)に掲載予定のカラーグラフ「科学・人間・医学」を作成するため編集資料であった。当時(1992年11月24日付)FAX送付していただいた手紙にはこう書かれていた。

 <「傑出人脳の研究」のコピーをおくります。表に本邦傑出人の脳重量がありあます。その中に夏目漱石も含まれまれています。他は目次のように桂太郎濱口雄幸の脳の詳細が書かれていました。>

■傑出人脳の研究
(原本が入手できないので、目次を再掲する)

第ー編

長與又郎(東京帝国大学教授・帝国学士院会員・医学博士)、
内村祐之東京帝国大学教授・医学博士)、
西丸四方(医学士) 
 目次

序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
略語解・・・・・・・・・・・・・・・・・1~4
緒言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1~15
桂太郎公の脳髄・・・・・・・・・・・・・・17~82

 桂太郎公脳髄 図譜・・・・・・・・・・・・Ⅰ〜X
濱口雄幸氏の脳髄・・・・・・・・・・・・・・83~143
 濱口雄幸氏の脳髄 図譜・・・・・・・・・・Ⅰ〜X

 送付頂いたコピーにある「第3表 本邦傑出人の脳重量(アルファベット順)」には、荒井實(内科学者)以下、総計57名の傑出人の名前が載っている。私でも知っている人を上げると、岩野泡鳴(文学者)、桂太郎(総理大臣、陸軍大将)、呉秀三(精神病学者、帝大教授)、中江兆民(社会評論家)、夏目漱石(文学者)、内村鑑三(宗教家、思想家)、山際勝三郎(病理学者、帝大教授)、藤波鑑(病理学者、帝大教授)らがある。

 上で紹介した「傑出人脳研究』とは別に、「南方翁の脳髄を眺めて」(黒津敏行、大阪大学教授)という論文のコピー98~105頁)がファイルから出てきた。

■「南方翁の脳髄を眺めて」(黒津敏行、大阪大学教授)■

この論文は「脳神経領域/脳談話会」(大阪永井書店,1951年10月、編・通号11)というものだった。この貴重な文献も河村満先生から頂いたものである。再読してみると面白い。

 <東大には有名な政治家、学者、芸術家等の脳が多数ほ存されてており、長与、内村、西丸氏が桂、濱口両氏の脳について報告された事が」ある。ところが大阪では、そういった人が東京に較べて少ないせいもあぁるであろうが又解剖の希望者も少なく、さらに病理教室に脳に興味を持つ人がほとんど無かった事も原因であろう。とにかく、傑出人脳として研究に適する材料が少ないのである。たまたま南方氏の解剖をやった故森上助教授が、その脳を持ち帰り、病理教室に保存しておった事を、本年6月末、南方翁10周年記念講演会を催すに当たり、朝日新聞から注意されて、始めて私も知ったわけである。おちろんエコノモが書いたように、脳底動脈の中央吊り下げ固定してあるわけではないから多少ゆがんではおったが、10%のフォルマリン液に保存されていらので調べるには差し支えない。>

 黒津敏行氏は、南方熊楠の脳の標本を実際に見ているのである。南方の脳の重さは1260グラム。こういう記載がある。「これは記録によると1530グラムと大変な差である。これに取り去られた脳膜や血管等の重さを100ℊとしても、1360グラムという事になる。しかし私はこれ位が真の重さに近いものと思う。」

 上で紹介した二つの資料を参考にして、「科学・人間・医学」というカラーグラフを編集(作成)した。一面には、イラストレーターの木村政司氏に、脳の上に顕微鏡を抱えて坐している南方熊楠を描いてもらった。その左には、レオナルド・ダヴィンチによる脳の解剖図を載せた。そして、以下に紹介するようなリードの文章を私が書いた。粗削りで些か厳密を書いた文章であるが再掲しておきたい。

”考える・記憶する・話す”、あるいは”愛する・悲しむ・楽しむ”--「脳」と「心」のメカニズム解明への興味はつきない。
 ”脳の時代”といわれる21世紀を目前にした今日でも、脳はいまだにBlack Boxのまま残されている。そして脳というBlack boxを覗きたいという欲望はいわば人間の本能であり、それによって科学も技術も進歩し、されに芸術も生み出されてきた。Leonardo da Vinciの筆による脳の解剖図譜(左)は、その具体例の1つと言えよう。
 夏目漱石と同年生まれの博物学の巨人・南方熊楠(1867~1941)は、粘菌研究ばかりでなく万巻の書に通ずる博覧強記とと共にギリシャ・ラテン・ヘブライさらに梵語に至る語学の天才でもあった。上図は、愛用の顕微鏡(James W. Queen & Co.製) を持ち視覚言語中枢といわれる脳の左「角回」に坐し自分の脳を覗く南方熊楠をデフォルメした。在英中の若き南方熊楠の最初の論文『極東の星座構成(The Consentellations  of the Far East)』が初めて科学誌”Nature"を飾ったのは百年前の1893年であった。腎疾患による死後、生前からの本人たっての希望で大阪帝大森上助教授らにより解剖がなされ、その脳髄は今も保存されている。>

 古い資料に触発されて若書きの文章に触れた。特集グラフ「科学・人間・医学」は、実質は河村さんの援助なしには成立し得なかった。にもかかわらず編集協力者としてお名前を挙げることはしなかった。河村満さんには10年後くらいに雑誌「脳と神経」の編集委員の一人に就任していただいた。その後、「脳と神経」が「神経研究の進歩」と合併して統合雑誌「Brain & Nerve」ができて数年後に編集主幹に就任していただいた。河村さんは神経内科医、脳の研究者であると共に優れた医学編集者でもあった。