TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

雑誌「SCOPE」最終号(Vol.42 No.6 通巻496号、400円)のこと

  雑誌「SCOPE」最終号(Vol.42 No.6 通巻496号、400円)がファイルから出てきた。懐かしい雑誌だ。この雑誌は製薬会社のファルマシア株式会社が発行していた。製薬会社のPR雑誌であった。週刊医学界新聞は出版社のPR新聞なので交換雑誌として毎号送って貰っていた。この最終号は、2003年6月1日発行となっていいる。もう21年も前に廃刊になっていた。表紙を画家の久里洋二さんが毎号描いていたのと、連載記事の「ここは旨い」が好評であった。毎号巻末の表紙裏に、医師が自分のお奨めのお店(料理屋、居酒屋、レストラン)を400字程度のエッセイ風に紹介していた。切り取って、編集会議のあとで編集員の先生をお連れするのに参考にしたりした。さて、この廃刊はどうしてなのか知れべると次のような記述を目にした。

 <ファルマシア(Pharmacia)は、かつて存在した製薬・ライフサイエンス企業で、本社はスエーデン・ウプサラのあった。ファルマシアはラテン語の製薬・薬局の意。1911年にストックフォルムに設立さ、1951年にウプサラに移転した。ウプサラ大学との共同研究も多く行い、医薬品のほか研究・試験用試薬なども開発した。1991年に栄養・血液関係の製薬企業かーび社と合併して、カービ・ファルマシアと称したが、1995年にアメリカのアップジョンと合併してファルマシア&アップジョンとなり、本拠をロンドンに移した。ファルマシア&アップジョンは2000年にモンサントと合併し、モンサント本体に移された農薬部部門を除いて再びファルマシアという名の子会社になった。2003年4月にファルマシアはファイザーに買収された。また、日本法人も同年8月にファイザー製薬株式会社と統合され、ファイザー株式会社となった。最後に、「会報誌『SCOPE』は、久里洋二がデザインを手がけた」との記述があった。>

 こういう背景を当時は知らなかった。製薬会社のこの雑誌はカラーを存分に使って華やかな編集であった。廃刊の裏に、会社が2003年4月にファイザーに買収され、6月に「SCOPE」が廃刊になったのだった。「SCOPE」編集長の高田昌彦さんが「ありがとうございました」の巻頭言をかいているが、廃刊の訳については一言も触れていない。「SCOPEは1962年の創刊以来、毎月発行を続けてきましたが、今月号で終了することになりました。良い読者に恵まれ支えられてきた41年と6カ月でした。ご愛読を心から感謝いたします。」とそっけない。

 この最終号をご丁寧にファイルに入れて保存しておいたのは読者であった私に感慨があったからであろう。最終号の記事には馴染みの方が書いていた。記述する。
(1)「急な青空」(南木佳士
 群馬県吾妻の人で国立高校から秋田大学医学部をでて医師になり、「ダイヤモンドダスト」で芥川賞作家となったこの人の本はたくさん読んだ。
(2)久里洋二「最期のSCOPE表紙原画展」
(2)Ewing肉腫治療の現状と分子標的治療の可能性(九大生計外科 岩本幸英)
(3)「されど 野の花 すべてをゼネコンにまかせた (徳永進
  徳永さんがクリニック「野の花」を開院するまでのことをエッセイ風に書いている。

(4)輝いた1枚ー(18)「オモ川流域、コエグの少年たち(関野吉晴)」
 医師で・探検家の関野さんが撮ったアフリカの少年たちの輝くばかりの写真だ。
 この雑誌はもう捨てていいね。

 最後に今日の気になる本を書いておく。

(1)『われは熊楠』(岩井圭也、eBook, 2200 )

「知の巨人」、その数奇な運命とは。直木賞候補になった作品だ。熊楠を小説にどう描いたんだろうか?読んでみたい。