本日は合気道の日曜稽古の日であった。早めに冷し中華の昼食を食べて20分ほど休憩して出かけた。右足の痛みが消えていないので無理をせずにバスを利用した。本日は後ろ両手首取りからの各種の技の稽古をした。毎朝の真向法体操及びロングブレスのお蔭で右脚の痛みが悪化せずに保たれている。股関節の何処かに歪みがあってそれが足底筋膜炎へと波及しているものと思われる。「下実上虚」を唱えて稽古をした。
稽古のあとの懇親会。ノンアルビール小瓶2本で二時間の飲み会に参加した。素面で酔いの回った仲間と過ごすのが少し苦痛を感じた一幕もあった。不思議と飲みたいという気になってこない。「素面でいきる」「堀の内側に落ちている己を仮想する」。このようにして一日が過ぎるとこころの平安が保たれてくるのを感ずる。「飲んでも飲まなくても寂しい毎日を素面で生きてみる」。町田康さんのこころもちが少しだけわかるような気がしてきた。お酒を断ってまだ35日なのだから何も偉そうなことは言えない段階だろう。ただ身体の軽さには代えがたい喜びがある。
さて、朝日俳壇から読んでみよう。
<前橋の暑さを友に詩碑巡り(伊賀市 福沢義男)>⇒高山れおな撰;
「福沢さん。前橋は萩原朔太郎の町。「暑さを友に」の心意気は見習いたいが熱中症には要注意。」と高山さんがコメントしている。群馬生れの私は、「前橋ってそんなに暑いかな?」と不思議に思う。
<高崎の暑さを友に三碑(史碑)巡り>
という句がパクリでできると思う。こちらの方がしっくりくる。高崎は縄文時代の日本三碑で最近は有名だ。同じく詩人の大手拓司の故里なんだ。
次に歌壇に移る。
<泥酔の恥を濯げるはずもなく呻きつつ朝のシャワー浴びおり(横浜市 黒坂明也)>⇒佐佐木幸綱撰;
「濯げる」って何て読むのか? 「すすげるかな?」面白い歌だ。
<日々ムツキ代える介護士だからこそわかりますヒトの果てる時果て方(横浜市 大田克宏)>⇒高野公彦撰;
<人質の四人を救出するために二百七十四人を殺す(観音寺市 篠原俊則)>⇒永田和宏撰;
これはウクライナはのことか、ガザのことか?篠原さんは優れた私歌の歌人のだが、時折このような「世相歌」を何故つくるのだろうか?
<雨上がる境内の森しんとして神の落とせしごとカタツムリ(岐阜市 後藤進)>⇒馬場あき子撰;
<姉と私結婚観は違うけどまつ毛パーマのお店は同じ(富山市 松田わこ)>⇒馬場あき子、高野公彦共撰;
姉妹歌人の松田わこさんと、梨子さん(お姉さん)はすごい歌人なんだが少し伸び悩んでいるような歌だね。
自分では歌えなくクセに近頃は文句をつけることが多い。
<なすきゅうり たまねぎれたす じゃがいもと ごうやはまだか じいのさいえん>
私の野菜たちです。