TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

 家族クライシスってなんだろう?ー「定年クライシスー居場所はどこに(朝日新聞朝刊記事)」に触発されて書く

 「定年クライシスー居場所はどこに」という朝日新聞朝刊(2023年5月21日、22日)記事を読んで触発されたので書いておきたい。
 夫が定年になって一日中家に居て夫婦が二人だけで三食を一緒に食べるのはもうミゼラブルなことになるのだという。「亭主達者で留守がいい」は真実なのだ。思えば私も休日はともかく定年退職までの45年間くらいの間、朝飯以外は家で食べたことがなかった。結婚した当初と子どもたちが小さくて弁当を持って学校に行っていた頃には私の分も弁当を作って貰えたので弁当持参で勤務にでかけていた。建てた家のローン返済で必死に勤務人をやっていた頃が幸せな時代だった。
「定年クライシスー居場所はどこに」の記事を再読しようとしたらその下に「男のひととき」という投書蘭コラムがあり「一度でも会いたいが」というタイトルで松本市のTOさんという方の投書エッセイが載っていた。こういうものだ。

 <離婚により当時5歳の長女と3歳の長男と離れ離れになってから早20年余りが過ぎた。子どもたちと会うことは一度もなく、ランドセルを背負った姿や、学生服姿を見たことがないまま今日にいたっている。>

 この方は54歳になって自分の子どもたちの年代の新入社員と働くことになり「感慨深い」というのだ。それで自分のこどもたちに思いをはせる。

 <一度だけでも会いたいと思う一方、このまま会わずに一生を終えるかもしれないという覚悟も持つようにしている。子どもたちには幸せになってほしいと願うとともに、子どもに詫びたい」

 この方は地方公務員ということだから、離婚後も堅気で働いてこられたと推測できる。離婚はなんでしたのか、その後は独身であったのか別れた妻について行った子どもの養育費はどうして来たのか等々には触れられていない。
 読んでみるとこのような親子もあるのかと私にも感慨深い。わたしは三人の娘を育て三人とも伴侶を得て巣立っていった。孫にも6人恵まれた。外から見ると「絵に描いたような幸せな家族」に見える。それなのにいま「家族クライシス」のような気持ちの整理がつかないことがある。

 件の記事の冒頭はこう始まる。

<「昼ご飯、つくりたくない」
 滋賀県に住む70代の男性は、妻の言葉に驚いた。60歳で定年を迎えた後、雇用延長で66歳まで働き、退職してから間もないころだった。・・・・・妻は、続けて言った。「週に3日は外に出て欲しい。>

 そこでこの男性は曲折を経て安く過ごせる時間の使い方をみつけた。
 <最寄りのJRの駅から電車に乗り、琵琶湖を一周ぐるりと回って、最寄りの一つ手前の駅で降りる。「おにぎりとお茶、小説などを持参し、3時間以上かけて回った。料金は一駅分だけ。>
 ほんとうならキセル乗車であるが、可能だ。「電車はちょうどいい書斎だった。」
 この男性の妻は、「私の年金は私が全部使うから」と言って自分の年金は生活費を賄う口座には入れない。このことと全く同じ経験を私もしている。私の方が2歳年長なので、退職後に夫である私の年金で二人の生活を賄ってきた。2年後に少ないながら、妻も年金が下りるようになったので二人の年金を合わせて二人の生活を賄ってきた。ところがあるとき、妻が友人から知恵を授かってきた。「女性の方が長生きをするに決まっているから妻の年金は長い老後のために預金をしておいた方がよい」との考えだ。その情報を得てからは妻の年金は生活費にはいれないようになった。夫である私の年金のみで二人の生活を賄い不足する分は貯金の取り崩し(つまり子どもに残さないように)していくスタイルになった。妻はいろいろと考えるのである。「そいう考え方もいいだろう」と甘受して受け入れた。

 「定年クライシスー居場所はどこに(朝日新聞朝刊記事)」の2回目は、「私、こんなひとと結婚していたんだ」というタイトるだ。て年後に70歳台になって、初めて「性格の不一致にきがついた」というよなうな趣旨の記事だ。『定年オヤジ改造計画』という本があるんだという。ドラマ化もされているらしい。読んでみたい。それにしても、周りをみても最後まで夫婦仲良くというケースがあまり見当たらない。やはり結婚とは勘ちがいから始まるんだろうか?