TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

エッセイは本当のことを書くと面白い(読まれる)~ 『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?(町田康)』を読み継ぐ」

 エッセイは本当のことを書くと面白い(読まれる)。

『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?(町田康)』を読み継いでいる。今日は以下の三章を読んだ。

第九回 エッセイのおもしろさー 随筆と小説の間
第十回 なぜ古典にひかれるか― 言葉でつながるよろこび
第十一回 古典の現代語訳に挑む

 まず、第九回から要な個所を引用したい。
 <・・・・・読んでもらうために何をやったか。それはですね。エッセイだけに限らず、文章を書く上で、非常に秘伝のタレなんです。もう大秘密で、これを言ってみんなが会得すると、文章を書く商売をしていくことができなくなるので、ホンマは言いたくないんですけれど、ここまで追い詰められた以上は、自分で追い詰めているわけですけれど、言わなしょうないから、言いますけれど、これをやったら、誰でも、無名であろうが、なんであろうが、絶対に面白い文章を書くことができるというコツがあるんです。
 これは何かといったら、一言で言えるんです。これはですね、「本当のことを書くこと」なんです。本当の気持ちを、そのときいどきの本当の気持ちを書くことです。>

 上の文章を読んだなら、まさに目から鱗で納得がいった。これと同じことをいまから30年くらい前、医学医療の記者になりかけの頃、先輩記者で同僚で歌人のSH君とやはり歌人生物学者(後に歌人として世に出た、その頃は大学院生だった)のKNさんが全く同じことを言っていた。
「読んでもらえるエッセイを書くには自分のこと本当のことを書くことである」
 なるほどなとその時に思ったのだった。その経験から自分でもエッセイのような文章を書く時にはなるべく自分の身の周りに起こった「本当のこと」を書くようにしてきた。「本当のこと」を書くのは実は「恥ずかしい気がする」、つまり自意識が邪魔するのだな。
 この私の公開ブログは個人的な日録であるが限定にせよ公開だから読んでもらうことを前提とするから「エッセイ」の一つだろう。数カ月前に「私のイタ・セクスアリス」のテーマで書いた時に、LBGTPに関連しながらオナニーを覚えた14歳くらいの思い出話とか書いたら急に読者が増えたのでおどろいた経験がある。みんな「本当のこと」を書いたもの読みたいのだとしった。

 第十回 なぜ古典にひかれるか― 言葉でつながるよろこび
 第十一回 古典の現代語訳に挑む

 後段の二章のことにも簡単に触れたい。町田さんの原点は小学生時代に読んだ『物語日本史』というものだということは、第一回 本との出会いー書店で見つけた『物語日本史2』で書いてある。最近、町田さんは「宇治拾遺物語」の現代語訳も出しているらしい。つい最近は、「口訳古事記」も刊行している。いろいろと示唆にとむことをこの章でもいっているんだが、あとは現物を読んで感想をかくことにする。

 閑話休題、むかし読んだ吉本隆明の詩に

 「本当のことを言おうか・・・・」
 という詩句があったような気がするが思い出せない。後で捜してみたい。ネットで調べたら『ほんとうの考え・うその考え―賢治、ヴェイユ、ヨブをめぐって』(吉本隆明)という本が春秋社からでいるのを知った。

 今日はここまで。町田康さんの本は面白い。