#練習用
「医学するこころーオスラー博士の生涯」(日野原重明著)を先日から読んでいる。この本は1948年に出された本の再版(1991年)である。オスラーの「平静の心」に、寝る前の30分の読書の勧め、良き習慣は第二の人格の形成となる、とのことが書かれている。72歳に…
(106)Lynn S. Bakerさんと座談会「エイズと共に生きる」~1992年7月6日(月) 1992年7月6日(月)。午後18時から20時まで、東京・湯島のガーデンパレスで、座談会「エイズと共に生きる(Baker・宮本康嗣・崎尾英子)」の収録を行った。当初は未知の病であ…
(101)Thomas Wiseさんとインタビュー「総合病院精神医学とは何か」~1991年11月7日(木) 1991年11月7日(木)。東京・四谷のホテルニューオータニで開かれた総合病院精神医学会の講演会に午後から参加した。日本医大(精神科)の黒澤 尚先生からの招きで…
(103)小野克彦さんと「エイズウイルス(HIV)発見の光と影―HIV発見の優先権をめぐる問題に迫る」~1991年11月18日 医学界新聞の担当に1981年から携わった私は、1983年8月、京都で開催された「第5回国際免疫学会議」で表舞台にでてきた新しい病「エイズ」と…
(98)松田一郎さんとインタビュー「DNA診断―その現況と将来展望」~1991年9月15日(日) 1991年9月15日(日)。東京大田区・旗の台の昭和大学で開かれた日本マススクリーニング学会を、午前9時から取材した。午後から昭和大学内の食堂で、松田一郎先生(熊…
合気道の日曜日の稽古に参加した。場所は麻生中学校の武道場を市民へ開放の特典を利用した。昨日の日本武道館の演武は二分間くらいの時間なので特別に日曜日のkrこだった。出席者は14名の見だった。片手とりの相手を感ずる稽古をした。今回の麻生中学校での…
第57回全日本合気道演武大会に出場した。私の所属する川崎市麻生同心会は一部18番目に演武した。片手取りの入り身投げ、小手返し、四方投げの技を行なった。あっという間の2分間であった。この2分間を節目にまた日々の稽古に勤しむ。合気道の稽古はシジフォ…
つつじ荘を11時前にでた。中強羅駅まで歩いた。ケーブルカーが来ないので強羅まで歩いてしまった。雑誌の広告で見つけた豚カツ定食たむらが駅近にあったので行ってみた。かなちのお客が既にならんでいた。順番待ちのエントリーわしたが諦めて強羅から宮ノ下…
昼前に家を出て柿生のトン鈴でトンカツランチを食べた。そのあとあと芥川産院まで歩いた。さくじつ誕生したばかりの六人目の孫くんに面会してきた。そのあと、小田急線で箱根の強羅に向った。新宿区の運営している保養施設つつじ荘に初めて行った。箱根登山…
今日午後6時48分に孫が誕生した!男の子だ。
(19)日野原重明さん⑦「日本オスラー協会」発足と『平静の心―オスラー博士講演集』の発刊~1983年8月1日(土) 1983年8月1日(土)。日本オスラー協会が発足した。『平静の心―オスラー博士講演集』(日野原重明・仁木久恵訳)が、その日に併せて医学書院か…
(93)松原謙一さんと「ゲノムの大航海時代の幕開け」~1990年11月21日 1990年11月21日(火)。夕刻17時~19時頃まで、松原謙一先生(当時は大阪大学教授)に、「ヒトゲノム計画」について、四谷駅の近くのレストランでインタビューをした。松原先生の上京の…
(89)高久史麿さんと対談「21世紀への内科学―分子内科学の進展と内科学の統合」~1990年9月13日(木) 1990年9月13日(木)。少し早めに出社した。朝の8時前、高久史麿先生(東大教授)に電話した。「高久史麿―井村裕夫対談」を電話で交渉して、出席の快諾…
(105)日野原重明さん⑦とインタビュー「『個』の医療の展開を―ホスピタル新時代の幕開けを告げる新聖路加国際病院」~1992年6月1日(月) 1992年6月1日(月)。午後16時~18時のあいだ、新装なった聖路加国際病院の院長室を訪問して、日野原重明先生にイン…
(99)森脇和郎さんと座談会「実験医学の新展開:分子レベルから個体レベルへ―マウス・遺伝子.ヒト」~1991年10月4日(金) 1991年10月4日(金)。夕刻17時から2本の座談会を医学書院会議室で収録した。一つは「実験医学の新展開」、もう一つは「DDS(Drug D…
(112)Arvid Carlssonさんと座談会「神経伝達物質―最近の進歩」~1992年10月23日(金) アルビド・カールソン(Arvid Carlsson)さんが、第7回東京都精神研国際シンポジウム「精神分裂病の生物学」に参加のため来日した。1992年10月23日(金)。カールソン…
(90)横田裕行さんと座談会「身体も診る―心も診る」~1990年10月1日(月) 1990年10月1日。千駄木の日本医大の救命救急センターに直出した。医学界新聞では、その頃、毎月1回だけ医学生・研修医向けの紙面を作成していた。その紙面構成の企画を、黒澤尚先生…
人気テレビ番組「相棒」は余り見たことはない。水谷豊と反町のでているテレビとしかの認識はない。ただこれは人気番組のようだ。毎週水曜日に放映されるこの番組を見たいがために合気道の稽古を休むと合気道仲間の一人が言っていた。さて、この水谷さんが脚…
(91)Ecclesさんと講演会「人間とは何か―科学と哲学の接点から」~1990年11月9日 1990年11月9日。1991年の新年号企画「高久史麿・井村裕夫対談:21世紀への内科学」の速記録の整理を、日中に行った。そのあと、夕刻17~21時まで、四谷の上智大学講堂におけ…
(95)黒沢 尚さんと連載「自殺未遂者研究ノート」~1991年3月2日(土) 1991年3月2日(土)。第18回日本集中治療学会のシンポジウム「ICU-CCUにおける高齢化社会の問題点と対策」を、午前9~12時まで取材した。その頃、高齢化社会を迎えてケアの重要性がます…
(17)川崎富作さん①と座談会「川崎病の本態解明をめざして~診断・治療・疫学」~1982年10月4日(月) 1981年5月16日(日)。日本小児科学会において、「川崎病の本態と治療」というシンポジウムが開かれた。三人の幼い子どもを持つ親としてこのテーマに興…
久しぶりにアルテリオ映像館に行った!映画「ビリーブ」を観た!1970年代アメリカ。世紀の「男女平等」裁判に挑んだ実在の女性弁護士の物語!1970年代のアメリカでさえ女性が職に就くのが難しく自分の名前でクレジットカードをつくれなかったという。つい50…
鳥越 碧著『わが夫 啄木』という本を稲城図書館の返却棚で見つけて借りて読んでいる。凄まじい本である。啄木と妻節子との結婚とその短い生涯を節子の語りの形で描いている。 啄木の「一握の砂」のあの歌は魂の叫びだったのだろうか? ドナルド・キーンさん…
(96)武田文和さんと「問われる末期医療―安楽死事件」~1991年4月13日(土) 「先生、いけないんじゃありませんか」末期がん患者(58)を世話していた看護婦が驚いて声を上げた。「僕の責任でやる」 静止を振り切った医師(34)が静脈に注射すると、患者は…
(97) Robert Twycross さんと「緩和ケア医療」~1991年7月28日(日) 1991年7月28日(日)。トワイクロス博士の講演を聞きに、東京・三田の笹川記念会館に、午後12時30分~17時頃まで行ってきた。医療の新しい動向に関心を抱いて、日曜日の午後から講演会に…
(88)吉田 修さんとインタビュー「第23回医学会総会展示の理念」そしてオスラー ~1990年9月10日(月) 京都大学の吉田 修教授(京都大学医学部・泌尿器科)にインタビューするため、京都に一人で出張した。 ■京大吉田 修教授にインタビュー■●1990年9月10日…
合気道の稽古で大事なのは相手との感応と残心であると思う。合気道の稽古を始めて32年になるが未だ道は半ばに至っていない。 気配りという言葉がある。これは自分の周りの人のことを慮ることであろう。ひと(他人)とひと(自分)の繋がりが上手く行くような配…
(86)Mary Louise Robbinsさんと対談「うまい英語で地球が狭くなる―医学英語のすすめ」~1990年6月29日(金) 1990年6月29日(金)。ロビンスさん(Mary Louise Robbins)と植村研一さんの医学英語に関する対談を、午後18時~20時30分まで、東京・本郷の医…
(87)山下 格さんと座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩」そして内村裕之さん・北海道大学精神医学教室 ~1990年7月7日(土) 1990年7月7日(土)。朝から出勤して、神経精神薬理学の座談会「神経精神薬物療法の最近の進歩(柳田知司・三浦貞則・山下 格…
令和がスタートした。「国民に寄り添い象徴の責務を果たす」と新天皇はおことばを述べた。59歳での即位は記録が残る8世紀以降の歴代で2番目の高齢の即位だという。即位式のお写真をみると背筋が伸びて若々しく感じられる。 令和元年5月1日は妻も私も先週から…